禁! 無断転載、掲載、複写!
 
……検証時代が違うので万が一とは思いますが、こんなへっぽこ文章を参考にして卒論書かないように(^^;
 
 
 
 
 
在学時代に書いた卒論
 
 
 
 さて、そろそろ時期ですね(笑)。というわけで期間限定で掲載します。
 
 ただ、なにぶん古い論文なので、ちょいとネタが古いかも(^^;
 
 確かソー●ックとかはまだ存在しないし、iMacも発売直後だったし(^^;; ああ、時代の流れ(苦笑)。
 
 
 
 本来は1〜5章までありますが、グル−プ研究なので自分の担当箇所だけで勘弁して下さい。あと、記述的にまずい箇所は
 
若干修正してあります。
 
 ちなみにタイトルは『パソコンの家電化について』……だったかな?
 
 
 
 
 
 
 
第3章 家電としての見解、そして疑問
 
 
 
 
 
3−1 パソコンとは何か?
 
 パソコンは家電になり得るものなのか? という考えの元で、私達は今回改めてパソコンというひとつの電化製品を
 
見直してみることにしました。
 
 
 そもそも、パソコンとは一体どういうものなのか。広辞苑によると………
 
 
「個人や家庭での利用を目的として作られた超小型の電子計算機」
 
 
 と記述されている。超小型、という言い方に疑問を感じる方もいると思われるが、初期のパソコンの大きさを考えると
 
決しておかしな言い方では無く、本当のところここまで小型化をなし得たこと自体、ある意味で奇跡に近いことであると
 
いえるだろう。
 
 
 
3−2 家電とは何か?
 
 
 それでは、次に家電(家庭用電化製品)とは一体どういうものなのか。
 
 今度は個人的考えを記述すると………
 
 
1.常識的操作(ボタンを押すなどの行為)により非可逆的な障害(異常動作)が発生しない。つまり、安全性及び
 
  設計が単純明快であること。
 
2.対象製品の価格が消費者(個人ユ−ス=各家庭)に対して極度な負担にならない金額の範囲内の価格であること。
 
3.各家庭にとって、生活上欠かせないもの、又は生活に大幅な有益をもたらすもの。
 
 
 こういうものであると私は考えている。
 
 ところがこれをパソコンに当てはめてみると、上記の条件の殆どが満たされていないのである。その理由として以下の
 
3つの点が挙げられる。
 
 
(1) 現状のパソコンのOS(Operating System)の不安定な動作がある。代表的なものを挙げると
 
    マイクロソフト社のWindows95、Windows98が挙げられる。これらのソフトウェアでは所定の
 
    動作をしなければすぐに起動不能になってしまう。(極端な話、いきなり電源を切っただけでシステムにエラ−を
 
    起こすことがある)これはWindows98では多少改善されているものの、安定性という面ではまだ不安が
 
    残るのが現状である。
 
 
(2) パソコン本体が安い場合でも、周辺機器(モデム、プリンタ、用途に応じたアプリケ−ションソフトなど)の購入が
 
    必要となる場合が多い。これは各家庭の使用目的によっても異なるが、インタ−ネットや年賀状作成などの実用的な
 
    役割を果たすためにはある程度の増設は必要となる場合がほとんどである。結局、それなりの投資が必要に
 
    なっていき、場合によってはパソコン本体以上の金額を使用するケ−スもある。
 
 
(3) 現時点で、企業を除く一般家庭へのパソコンの普及率は決して高いとはいえず、また使用目的も殆どが趣味の範囲内
 
    での利用としてであり、決して電化製品として必須になっている訳ではないといえる。
 
 
このような状況では家庭用電化製品としての地位を得るのはまず無理である。
 
 
 
3−3 パソコンの家電化に対する疑問と否定
 
 
 では、現状ではパソコンは家電としては認められないのか。「その通り」逆のいい方をすれば無理に家電にする必要は
 
全く無いといえる。そもそも、私は現状のパソコンを家電とは考えておらず、また今現在、家電として認めるような状況
 
でもないと思われる。その根拠は幾つかあるが………
 
 
 
3-3-1 販売店の立場から見たパソコン
 
 
 まず、家電販売店の現状が大きな要因である。確かに、ここ数年の間にパソコンは専門店の域を越えてディスカウント
 
ショップやGMS(総合ス−パ−)、カメラ量販店等での展示、販売が行われるようになったのは事実であり、専門的と
 
いうものからの脱却をできたと言えば間違いではない。ちなみにこれらの店に置かれているパソコンの種類としては、
 
各メ−カ−の主力機種を中心とした品揃えとなっている。こう聞くと、一見パソコンの大衆化が進み、家電としての意識が
 
強くなっていると考えることもできる。
 
 
 しかし、この話にはまだ先がある。実はある一社のパソコンは他と違う立場に置かれているのだ。その会社とパソコン
 
とは、アップルコンピュ−タ−社のマッキントッシュである。これは、余程の大型店でない限り、現状では殆ど取り扱いを
 
していないといえる。何故、同じパソコンでこのような違いが生じるのか。その理由はユ−ザ−が求める用途の違いが
 
挙げられる。マッキントッシュはCGや音楽といった専門分野には強い……ということはつまり、言葉を換えれば専門的な
 
仕事に向いている、と言える。ここに、家電販売店との大きな食い違い……というよりも販売するタ−ゲットの違いが生じる。
 
各ショップに来店する顧客がファミリ−中心である上にパソコンの購入目的は「親が使う」、「小、中学生の子供に買い
 
与える」という顧客が殆どを占めるのが家電販売店の傾向である。この場合、マッキントッシュにはセ−ルスポイン
 
トがほとんど無いといえる。パソコンを知らない人でも一度は聞いたことのあるWindowsと、専門的な印象の強い
 
マッキントッシュ=MacOSを比較すれば、出てくる答えは言うまでもなく、顧客はWindowsの方を選ぶだろう。
 
家電販売店はパソコン専門店と違い販売場所や展示台数に相当の制限がある為に売れ筋を揃え、安定した商品を提供すると
 
いうコンセプトに基づくと、やはりマッキントッシュは置きづらいというのが現状ということだろう。機種によってここ
 
までの対応の差が出るという時点で、まだまだといった印象が露呈しているという感は拭えない。
 
 また、そのアップル社だが、先日発売されたパソコン「iMac」は専門店でさえ扱えるショップとそうでないショップが
 
あったのはあまりにも有名な話である。
 
 極端な話、日本国内全47都道府県のうち10県以上の県では販売店が一軒もなかったという笑えない話もあるほどである。
 
これはアップル社側の販売戦略で、順次販売店を増やしていくとのことだったが、新規開拓という線で「iMac」を楽器店に
 
置くぐらいなら、もう少し身近なGMS等に販売を延ばしてもいいのではないか。実際、この商品は今までにないパソコンと
 
いうコンセプトを元にコマ−シャルを放送しており、そのデザインとコンパクトさが新たなユ−ザ−の目に止まり、発売日には
 
女性やカップルなどの普段見られない客層が多く、その数日後には各店で品薄状態になった程の売れ行きだった。そういう
 
商品こそが現状を打破、つまりパソコンをより親しみやすいものにする為にはよかったのではないのだろうか。この話は
 
アップル社の販売戦略の話だが、このような現状からも、家電販売店との溝はまだまだ大きいと言えるだろう。専門店と
 
違い、あくまで一般向け、すなわち「売れる商品」を置かざるを得ないのが、今の家電販売店やGMSの経営方針なのだろう。
 
 
 さらに、パソコンのサポ−ト体制という面からも、パソコンという電子機器の不明瞭な点が露出していると言える。
 
パソコンは、目的が多種多様にわたるところにあり、使用目的が単一ではないところが、生活必需品という言葉に当て
 
はまらない理由でもある。販売するに至っても、販売員の基礎的な教育や充分な情報提供が必要となる。
 
 特に、先に述べたような大手家電販売店では、ある程度の質問には対応できても専門的な知識を訪ねられた場合に対処
 
できる一般販売員は殆どいないだろう。社員教育をするにもそれなりのコストがかかる上に各種専門用語などの複雑な要素が
 
多いため、研修の能率もなかなか上がらないという。
 
 
 また、周辺機器の多さやライフサイクルの短さもひとつの原因である。状況の変化に柔軟に対応出来る力が必要というのも
 
販売する側にとっては大変な話だろう。
 
 ここまで本質的、物理的に大きく違ってくると、売場、販売員、サポ−ト等、家電製品と同じように扱うというわけには
 
いかないと思われる。
 
 
 
3-3-2 他の家電と比較した値段の違い
 
 
 パソコンの普及率が上がらない要因として、値段の高さが挙げられる。確かに、近年パソコンの値段は手が届かない
 
金額という印象から少し無理をすれば手が届く金額になりつつある。世の中の商品が次々とインフレ−ションを起こす中で
 
パソコンは、地道ではあるがデフレ−ションの道を辿っている数少ない商品である。技術の発達により商品の大量生産が
 
容易になったことや、需要の割合が増加したというのが大方の見方でもあり事実でもある。しかし、それでもまだパソコンは
 
高いというイメ−ジが私達の中に根強く存在するのは事実である。それは何故か? それは値段に見合うだけの実益が
 
出ないからと言えるだろう。……確かにパソコンは安くなったとはいえ、他の生活必需品、的を絞れば家電と比較すると
 
まだまだ手の届く金額とは言えない金額だ。明らかに生活に付加価値を与える家電と違いパソコンは、いわば趣味の領域で
 
しか無く、言い方を変えれば娯楽にお金をかけると言う見方も出来るといえるだろう。仕事で使う人達はそういうことは
 
ほとんどないだろうが、それ以外でパソコンを購入しようと考えている人達は、どちらかといえば「高い遊び道具」という
 
イメ−ジがあるだろう。遊び道具としか見られない状況では家電への道は遠い。
 
 
 
3-3-3 購入目的とその結末
 
 
 私達は、パソコンを買うときにどのようなことを考えるのだろう。しっかりとした目的を持った上で、欲しいパソコンを
 
購入する人はどれだけいるのか。また、目的があったとしても、その目的が果たしてパソコンの値段に見合っただけの
 
働きをするのか? といった危惧感の方が強いのではないだろうか。実際、私のパソコン購入時の当初の目的はBASIC
 
言語のプログラムを勉強するというものだった。
 
 
 しかし実際、その為だけに20万近い金額を使うのは正直言ってもったいないという考えも強くあり、私は少しでも
 
元を取ろうという……お世辞にもいい動機とは言えないのだが……色々なことに挑戦してみた。表計算、ワ−プロ、ゲ−ム、
 
作曲等……しかし、結局はどれも中途半端に終わり、今では、文章作成とゲ−ム、そしてインタ−ネット程度にしかパソコンを
 
利用していない。私の場合、それでも十分にパソコンライフを楽しみ、個人的に今では無くてはならないものになっているが、
 
しかしそれは本当にごく一部の人達の話である。自分の求めていたことや自分がすべきことを見つけることが出来たのが
 
たまたまパソコンであっただけの話である。ただ、どういう理由であっても目的を見つけることが出来た人はそれなりに
 
パソコンを必要としているといえるだろう。
 
 
 しかし、逆に明確な目的を見つけだせなかった場合はどうなるのだろうか?
 
 これは今の大多数の人の現状を表していると言えるだろう。部屋の片隅に埃を被って置いてある約30万円の箱。業者に
 
二束三文で引き取られる………それがパソコンブ−ムが過ぎ去った後の本当の姿だ。
 
 
 「パソコンは簡単で便利なもの」という言葉がある。今でも偶にこの言葉を耳にすることがある。しかし一度でも
 
パソコンを触ったことのある人や、実際パソコンを使っている中堅ユ−ザ−の立場から言えば、当たらずとも遠からずと
 
言うところである。
 
 
 確かに数年前と比べてパソコンの基本操作は飛躍的な進化を遂げた。Windows95、Windows98といった
 
GUI(Graphical User Interface)を意識したOSが増えたため、非常に操作が単純になり、
 
使いやすさは一気に向上したかのように見える。ところがそれは今までにパソコンを使ったことがある立場の人達の意見で
 
ある。そういう人達がWindows95を見て「簡単になった」というのは決して間違っていない。
 
 
 しかし、それはかつてのOS=MS−DOSの複雑なコマンド入力や操作を越えてきた人達だからこそ言える言葉である。
 
実際私もWindows95を使い慣れていくに従ってMS−DOSのコマンド入力型がどれだけ大変なものであったかを
 
思い知らされることになった。ところが社会現象にまでなったWindows95は、パソコンを全く使ったことが無い
 
層にまで浸透した。彼らがパソコン購入を考えて書店等で手に取った概刊のパソコン雑誌の記事、つまり以前のMS−DOS
 
と比べて「簡単で使いやすい」という言葉を勘違いし、Windows95を使うとパソコンは簡単に使えるものだと
 
信用してしまったのである。しかし、パソコンを全く知らない素人がパソコンを使い、ひとつでも専門用語を必要とする
 
メッセ−ジやエラ−が出た場合、全くと言っていいほど対処が出来なかった……当たり前のことなのだが、当時は一種
 
の夢のようなものを見ていたのも確かである。
 
 「簡単で使いやすい」……それは、パソコンを今まで使いこなしてきた人達に語りかけた言葉であり、決して初心者に語り
 
かけた言葉ではなかった……夢から覚めたユ−ザ−がそれに気がついたとき、既にパソコンは部屋のインテリアと化して
 
いた……言葉自体がある意味、間違っていないだけに、軽はずみな発言だったという印象が強い一件だった。
 
 
 
3-3-4 家電との違い、そして否定
 
 
 そして、最後に挙げられるのは家電との微妙な違いだろう。
 
 上記のように、様々な不振要素があるパソコンだが、その中でもマニュアルの多さは必見である。原因は多種多様だが、
 
一番の原因にバンドルソフトの多さが挙げられる。ちなみにバンドルソフトとはパソコン本体に付属されてくるアプリケ−
 
ションソフトのことである。少しでもパソコンを使いやすいようにと各メ−カ−はパソコンの中に予め色々なソフトを
 
インスト−ルしているのだが、そのソフト全てにマニュアルがついてくる。この時点で少なくとも、他の家電ではあり得ない
 
ことである。パソコンは様々なことができる証明と言えるが、TVにしろ冷蔵庫にしろ、マニュアルは一冊の場合が多く、
 
まして複雑な操作をほとんど必要としない。それなのに何故パソコンはここまでマニュアルが多いのだろうか。実際中身を
 
見ても殆どが専門用語の羅列である。解りやすいように書いている努力は認めるが、それでも難しいという印象は未だに
 
拭えない。これが、明らかにパソコンが家電とはいえない現実だろう。設計が単純明快であることという論点から完全に
 
外れている。
 
 
 更に、パソコンの接続方法についても問題がある。コンセントひとつで繋げることの出来る他の家電とは違い、パソコンは
 
その他にも複雑な配線を必要とする。これは、パソコンを拡張すればするほど配線がややこしくなっていくというおまけ
 
付きでもある。パソコン本体だけではなく、各種周辺機器を必要とするパソコンならではのものである。結局、何をするにも
 
追加投資というものが必要となる。これも、他の家電とは異なるところである。そのままではただの箱、というのもあながち
 
間違いな話では無い。
 
 
 勿論、その他にも色々な違いはある。しかし、生活に大幅な有益をもたらすものであるという言葉をいくら穏和に考えた
 
ところで、昨今のパソコンの歌い文句である「簡単かつ便利なもの」という言葉とは裏腹に、いまのパソコンにはこの言葉が
 
当てはまるとは私達はどうしても思えない。
 
 
 
3−4 企業のパソコンに対する認識
 
 
 ところが私達の考えに反して日本ではパソコンの家電進行化が進んでいる。これは何故なのだろう? ……それは企業
 
(パソコン販売メ−カ−)の販売戦略なのではないのか。1995年、パソコン業界を大きく変えたWindows95が
 
発売されたのは記憶に新しいところである。これからの時代、一家に一台パソコンを……という言葉に引かれてパソコンを
 
買った人もいた。ところが、いざ買ってみたのはともかく、特に使うあてもなく部屋のインテリアと化している方々が
 
ほとんど……まして、Windows95発売当時のパソコンの環境(Pentium75〜100MHz、メモリ8MB
 
〜16MBレベル……これはWindows95発売同時、各メ−カ−が発売した新モデルパソコンの基本性能)は、後々
 
実用性に欠けるものであったことは事実である。この当時は、intel社やMicrosoft社がPentiumで
 
あればWindows95が快適に動くと宣伝していたたせいもあり、それを元にした企業のキャッチフレ−ズを信じ込み、
 
パソコンを新規購入及び買い換えた人も少なくない。ところが、結局最終的な必要スペックは同じPentiumでも
 
数段上の、MMXPentium166MHz、メモリ64MB以上、RIVA128程度の高性能グラフィックアクセラ
 
ボ−ド等と至れり尽せりの環境が推奨環境となった。
 
 
 【補足、Windows98の推奨動作環境はPentium2−350MHz以上、メモリ96M以上、HD4GB
 
以上、CD−ROM36倍速以上+VoodooBansheeクラスのアクセラボ−ドが必須となるだろう】
 
 
 人間は精神的な影響に弱い傾向にある。当時、一種の連鎖反応の如くパソコンが売れていったのも時代に乗り遅れない
 
ようにという群集心理が働いたものである可能性が強い。少し冷静になって考えてみれば、あの当時、あの状態でパソコンを
 
買う必然性は殆どない筈である。(一部中小企業では社員総出で新しい環境に変更したという話もあったが)。仕事で
 
パソコンを使うビジネスマンならともかく、個人でパソコンをもつ必要は当時は殆ど無いと言える(まあ、今もあるとは
 
言えないが……)。実際私も言語の勉強とゲ−ムにしか使用目的が無かったのである。
 
 
 そういうこともあり、結局Windows95発売当初のメ−カ−販売戦略(?)が仇となり、各パソコンメ−カ−は今、
 
そのツケが回ってきているのであろう。もっとも、最近のパソコンの売り上げ不振の原因は平成大不況を筆頭とする
 
多種多様な理由があるが、こういう部分も大きいのではないかと思われる。
 
 
 
3−5 パソコンユ−ザ−達の話
 
 
 ところで実際のところ、パソコンの個人ユ−ザ−達の各家庭での利用状況はどうなっているのか。某大学の情報経営科の
 
学生を中心にアンケ−トを行ってみたところ、次のような意見を筆頭に様々な答えが返ってきた。
 
 
 『ワ−プロとして使っている。あと表計算にも使用』
 
 『インタ−ネットで情報を集めるのに必須。その他DTM(DiskTopMusic)もやっている』
 
 『ゲ−ムをやったりCG(ComputerGraphic)を描くため』
 
 
 上の答えからも分かるように私達の世代はパソコンはいわゆる「遊び道具」としての印象が強い傾向が見られる。確かに、
 
学生という立場である私達にとってのパソコンはまだ、この程度の見解と考えてもいいだろう。実際私も似たようなも
 
のである。
 
 これが、社会人になるに従って、仕事に占める割合が多くなっていくのは言うまでもなく、実社会でパソコンを使用して
 
いる方々に伺ったところ、殆どの方の答えの中に「仕事に使う」という返答を頂いた。
 
 また、その話以前に当時パソコン(MS−DOS)を使っていた方々は簡単にWindows95環境に移行できな
 
かったであろう。実際私もその1人である。何故かというと、それはDOSの環境が安定していたということである。
 
DOSの安定性に馴れているユ−ザ−には当時不安定と噂されていたWindows95を選ぶのに戸惑いがあったと
 
思われる。実際私は今でもDOSとWindowsの両方を使っている。やはり、長年使ってきた環境はそう簡単に
 
手放せるものではない。
 
 繰り返すようだが正直なところ、昨今の個人ユ−ザ−の多数がブ−ムに踊らされた人達の暴走といえる。パソコンの
 
利用価値は正直言って今現在では家電レベルに到達できるものではない。ただ、皮肉なことに、この方々が昨今のパソコン
 
業界を作っているといえないことも無いのだが………
 
 
 
3−6 パソコンの家電化という言葉の始まり
 
 
 では、このような現状の中で一体どうすればパソコンは家電になり得るのかを考えてみたい。そもそも本当に家電に
 
する必要はあるのだろうか。何故メ−カ−はここまでして家電化を進めようとしたのだろうか。
 
 
 「パソコンの家電化」については(株)日本電気(NEC)がPC−6001あたりから「一家に一台」というコンセプト
 
で使われ始めたのが始まりだと思われる。非常に古い言葉とはいえ、実際20年以上経った現在でも未だに家庭への浸透は
 
果たせないでいるのは事実であり、パソコンの敷居の高さを物語るいい例であるとも言える。
 
 
 しかし、家庭レベルで本当にパソコンを使う(家電としての)メリットはあるのか。
 
 パソコンの機能を幾つか挙げて他の製品と比較してみると……
 
 
 計算    =電卓を使えば簡単。
 
 文章の作成 =価格的に安いワ−プロでもいい。
 
 テレビを見る=現在のディスプレイ(15〜17インチ)ではたかが知れている。
 
 
 ……という結果で、考えれば考えるほど無意味なことになっていく。
 
 
 
3−7 浮かび上がる疑問
 
 
 ところが、ここで妙な違和感が生まれてくる。
 
 なぜ今更パソコンをここまで家電化に押し進める必要があるのか。
 
 逆に言えば、何故私達はこの説に今まで異を唱えなかったのか。
 
 確かにメ−カ−の家電戦略の影響も大きい。これは利益を考える企業にとっては当たり前の話である。ただ、企業の
 
理想と各家庭の現実間の隔たりがとてつもなく大きかった中で、ここまでの世論が生まれてくるのは妙な話でもある。
 
 そもそも、企業の考えていたパソコンの家電化とは一体どういう意味があったのだろう。企業は根本的な間違い、つまり
 
家電としてのパソコンの地位を予め高くしていたのではないか。そして、それが我々に間違ったイメ−ジの家電化を押し
 
つけているのではないのだろうか。
 
 そもそも「一家に一台」というキャッチフレ−ズで家電化を押し進めること自体に違和感がある。今や家電といえば
 
「一家に一台」というわけではない。TVにしろCDプレイヤ−にしろ「一家に二台」……いや、それ以上ある家庭が
 
多いはずだろう。
 
仮に、パソコンが将来家電としての地位を確立したとしても、「一家に一台」などという状態では正直全然足りないと
 
いえるのではないのか。
 
 
 パソコンとは、基本的に「一対一」の作業が原則である。TVのように複数で見るわけにはいかない。何故か? それは
 
目的が違うからである。TVはひとつの映像を一方的に押しつける。いわば一方的に情報を提供するものである。しかし、
 
パソコンはこちらから情報を与えることができるものである。逆に言えば、パソコンは情報を与えなければ、何もして
 
くれないのである。もちろん、その情報を与えるのは私達である。しかし、あくまでそれは「一対一」の域を超えることは
 
できない。一台のパソコンを使い、片方がインタ−ネットをやっている間に片方が家計簿を打つ。そういう「一対多」の
 
パソコンはまだ一般レベルのものではない。
 
 
 確かにTVには1つのTVで複数のチャンネルを見ることが出来る機種もあるが、しかし決して満足のいくものでは
 
ないだろう。その為に新しくTVを買う(セカンド購入)人も沢山いる。
 
 しかしパソコンにはそれができない……というか、今の時点でそのようなことができる家庭はほとんどないであろう。
 
それは何故か、値段の高さもさることながら使用目的が全くないからである。それにパソコンの利用時間も、それほど
 
多いわけではない。複数の人がTVを見る程の時間をパソコンに対して利用する状態であればパソコンを多数購入する
 
可能性はあるが。現状ではそのような考えはまず無いと言える。
 
 
 「一家に一台」確かに家電のことをいっていると解釈してもおかしくはない。ただ、それがパソコンに当てはまるか
 
といえば、当てはまらないだろう。結局、間違った販売戦略と間違った消費者の固定観念、つまりパソコンは家電になり
 
得るものであると信じてしまった消費者が、理想と現実のズレを生み出したのも、このような誤解を招いたひとつの
 
原因でもある。
 
 
 
3−8 家電としての新たなる方向性
 
 
 ここで違う可能性から考えた見解を立ててみる。
 
 実はパソコンの家電化は既に終了しているのではないのか。
 
 我々はパソコンはこういうもの(企業が使う、難しい操作を必要とする)という固定観念に縛られ過ぎてはいないのか。
 
そういうイメ−ジでパソコンを家電の対象として考えること自体間違いではないのだろうか。何らかの形で既に我々の中に
 
(家電として)浸透しているのではないか。最初に私はこのように記述した。
 
 
 パソコンとは……
 
「個人や家庭での利用を目的として作られた超小型の電子計算機」(広辞苑)
 
 
 これは、考え方によっては以下のような方向にも解釈できるのではないのか。以下の記述については少し視点を外して
 
説を論じてみたい。
 
 
 
3-8-1 ゲ−ム機は家電か
 
 
 実は「ゲ−ム機」と呼ばれているものがパソコンの家電化の完成形態では無いだろうか。低コスト、高速なCPU、
 
複雑なデ−タ処理、家庭への浸透率、そして娯楽という名の必要性がある。パソコン家電化の進化形態としては充分過ぎる
 
ほどである。
 
 事実ゲ−ム機のように複雑な処理を行う家電は未だに無いと考えられば、あながち嘘でもない。「パソコンに1番近い=
 
パソコンの家電化の形態」と考えて違和感は無いと思われる。それこそ、「一家に一台」がコンセプトのゲ−ム機である。
 
この言葉がパソコンと違い、全くと言っていいほど違和感がないのは逆に不思議なところでもある。
 
 家電とは役立つものでもあり、楽しめるものでもあるはず。そう考えるとゲ−ム機を家電として捉えても正しいはずである。
 
 
 
3-8-2 汎用型アンドロイドと人工知能の可能性
 
 
 また、パソコンの家電化を別の形で考えてみるのも面白いかもしれない。
 
 パソコンのゲ−ムでこんな話を経験したことがある。
 
 
「高性能CPUを積んだお手伝いロボットを家庭に一台如何ですか」
 
 
 特に掃除が得意です……というおかしなロボットだが……
 
 ただ、ここで感心したのは、限りなく人間に近く作られていて、それでいて親しみがもてるものであったというところ
 
にある。また、ロボットの種類によっては人工衛星システムを仲介し様々な専門技術のデ−タをダウンロ−ドすることに
 
より、ロボット自身がそれぞれの職種の専門家になれるという話もあった。つまりそのロボットが一台家にあれば、自宅に
 
いながら医師の診断を受けたり一流料理店のシェフの味が堪能できるようになるという画期的なシステムである……勿論、
 
今の技術では到底不可能な話である。ただ、これもある意味パソコンという電子機器の家電化としての、未来における
 
ひとつの可能性でもある。
 
 そして、こういう風に物事を楽しく考える方が夢があって面白いと思うのは私だけだろうか。同じパソコンという言葉を
 
使ったものであるならば、無機質な四角い箱を家電として持ってくるよりも、使っていて楽しくなるような、将来的には
 
機械と家族同様に語り合えるような家電があってもいいのではないかと私は考えたい。
 
 
 
3−9 パソコンの家電化とその行方
 
 
 結論として、やはり今のパソコン家電化の現状と結末は企業の販売戦略の影響と考えるのが無難だと思われる。私達は結局、
 
企業の間違った販売戦略に踊らされていたともいえる。
 
 
 パソコンを知らない人達がその戦略に引っかかり、そしてパソコンのイメ−ジを更に悪くしていった、ということも
 
あった。そのような現状の中、私はとてもパソコンを家電にはしたくない。やはりパソコンは一部のユ−ザ−が本当に
 
やりたいことをやるための「機械」である、と私は思う。実際、今のパソコンに対する家庭での意識、つまり「専門的な機械」
 
ではなく「今必要な機械」に変えることが出来ない限り、今後パソコンが家電としての地位を確立することは無いと私は考える。
 
 
 
−参考文献−
 
第3章
 
   (1)隔月刊パソコン批評     (マイクロデザイン出版局)
      パソコン販売の岐路           (Vol.11)
      日本でパソコンが普及しないワケ     (Vol.14)
      ユ−ザ−に敬遠される低価格パソコンの現実(Vol.15)
      ウインドウズ95の恩恵と業界の衰退   (Vol.16)
      マッキントッシュの逆襲         (Vol.18)
 
   (2)季刊PC自作派       (マイクロデザイン出版局)
      デュアルなパソコンを作る        (Vol.5)
 
   (3)Oh!PC 98年2/1号 (ソフトバンク)
      パソコン大日本史
 
   (4)To Heart  (株式会社アクア 企画・制作 リ−フ)